富士山は日本で一番高い山で、美しい姿をしています。
この末広がりな形は富士山が成層火山という種類の火山だからです。
昔は富士山は休火山として扱われていましたが、現在では前に噴火した記録のある山は全て活火山という扱いになっています。
もし富士山が噴火したら、私たちの生活に大きく影響すると心配されています。
富士山噴火には今までどんな予兆があったのかの歴史と、詳しい記録が残っている宝永噴火の様子を振り返ってみたいと思います。
富士山噴火にはどんな予兆があるの?
富士山をはじめとした活火山の予兆のうち最もわかりやすいのは、火山性の地震です。
地震にはプレートがずれて起こるプレート型の地震と、火山の活動が活発化することによって起こる火山性の地震があります。
火山性の地震では、地震が起こるほかに地下水の温度が上昇したり化学ガスの成分が変化する様子が観測されます。
地震の前触れで地面から音がする山鳴りの有無や、河口付近の地形の変化も調べます。
地震の強さ、回数、位置をカウントすることにより、火山活動による地震かどうか判断できます。
さて、富士山噴火の記録が残っているのは江戸時代の宝永噴火のみです。
歴史的に富士山は、どんな風に噴火活動を繰り返していたのでしょうか?
富士山噴火の歴史は?
ここ数百年は穏やかに見える富士山も、過去には大変活発に活動していた火山です。
富士山が雪や氷に覆われていた氷河期にも、火山の熱で溶かしながら泥流が発生していました。
縄文時代には爆発的な噴火を4回もした形跡があります。
富士山の噴火の仕方は溶岩流、火砕流、火山灰、山体崩落など多種類に渡っています。
噴火のデパートと呼ばれてしまっているくらいです。
歴史に新しいところでは、800年の延暦噴火、864年から20年近く続いた貞観噴火、江戸の町に大量の火山灰を振らせた1707年の宝永噴火があげられます。
詳しい歴史の残っている江戸時代の宝永噴火について、噴火の予兆があったのか調べてみました。
江戸時代の宝永噴火には予兆があったの?
1707年宝永噴火の前に宝永地震というとても大きな地震が発生しました。
推定マグニチュードは8.6と、記録が残っている地震の中では最大クラスの地震です。
宝永地震は現在の暦で10月28日、この日から49日後の12月16日に富士山の宝永噴火が起きました。
この噴火で富士山の山麓では高温の軽石が大量に飛んできて、遠く江戸でも火山灰が積もったそうです。
噴火は最初の4日間が最もひどく、断続的に半月ほど続きました。
宝永噴火には火山性の地震である宝永地震が大きな予兆でした。
富士山噴火の予兆は?噴火の歴史を振り返ってのまとめ
地震の予知は起きる場所、強さなど予測が難しいのですが、火山の噴火は現在では根拠ある予測を立てることができるようになりました。
火山噴火の予測を立てても、本当に噴火せず不発に終わることもよくあります。
しかし臨時火山情報、緊急火山情報が出る場合には、火山を観測していて噴火の予兆となる根拠があります。
たとえ空振りに終わることになっても、火山情報が出たときにはすみやかに指示に従いましょう。
何もなければそれに越したことはありません。
日本は世界有数の自然災害大国です。
家族で万一の連絡方法を話し合うなど、できるかぎり災害への備えをしておきましょう。