中学・高校の男子学生服といえば「学ラン」ですね。
男子であれば、中学か高校で一度は着たことがある人も多いのではないでしょうか?
「学ラン」と聞けば、誰もが同じ形の制服をイメージ出来ると思いますが、学ランの「ラン」の意味って知っていますか?
意外と知られていないと思います。
そこで今回は、学ランの「ラン」はどういう意味なのか?
また、どのような由来で「学ラン」と言う名前になったのかという事について紹介します。
「ラン」の意味
学ランの「ラン」は、江戸時代に隠語で「洋服」という意味で使われていた「ランダ」が訳されて出来た言葉です。
つまり「学生が着る、ランダ(洋服)」を略して「学ラン」になりました。
「学ラン」の由来
学ランが普及し始めたのが明治初期、帝大や私大の学生が着用していました。
この時代は、読み書き算盤以外の学問を総じて「洋学」として位置づけられ、新しい時代の学問とされていました。
しかし、それを学ぶ学生の中には「洋学」を揶揄して、鎖国時代の「蘭学」と呼んでいました。
この時代の「蘭学」の意味は「古い学問」という意味で使われていて、それを学ぶ学生達の学生服という意味で「学蘭(ラン)」と呼ばれていたそうです。
明治初期は洋服その物が珍しく、一般人には軍服と見分けがつかなかったと言われています。
そのため庶民からは「エリートへの憧れや反発心の象徴」ともされていたそうです。
現在は学ランが減少傾向
全国に沢山の学生服着用の中学・高校がありますが、現在は沢山の学校で学ランからブレザーに切り替わってきているそうです。
特に高校では学ランを着用する学校が少なく、全体の8割ほどがブレザーに変更されているそうです。
その理由としては、学生服の変形、着崩しなどの対応のためにブレザーに変更したり、学校の良いイメージを浸透させるために変更している学校もあるそうです。
時代で様々な着方、形をしてきた学ランは今でも、あまり良い印象を受けないという事なのかもしれません。
逆に中学校はまだまだ学ランの割合が高いです。
全国の7割ほどは学ランが学生服として指定されているようです。
高校のような着崩しや変形などはあまり見られないため、使われ続けているのだと思われます。
学ランといえば「第二ボタン」
学ラン着用の学校の卒業式といえば「第二ボタン」ですね。
この風習の由来は、太平洋戦争の時に出征した学生が、好意を寄せていた女性にあげた事が始まりだと言われています。
当時、自分の気持ちが伝わるような物はなかなか手元なく、渡せる物もあまりありませんでした。
そこでその学生は、自分が常に着用し、誇りであった学ランの胸(心)に一番近いボタンをあげたそうです。
これが風習となり、今では「卒業の時に気持ちを伝えるために渡す物」となりました。
まとめ
学ラン1つでも、様々な時代背景がある事がわかりました。
今では「学生服」でしかない学ランも、様々な意味を持って使われきたんですね。