小野妹子といえば、小学校の社会科でみなさん習っているはずですが、どんなことをした人かわかりますか?
名前だけ見ると、女性のようにも思えますが、本当のところ性別は男女どちらなのでしょうか?
経歴
小野妹子は飛鳥時代に活躍した歴史上の人物ですが、出没年は不詳のため何歳まで生きたかはわかっていません。
妹子は豪族の出身とはいえ、それほど家柄はよくありませんでしたが、聖徳太子にその能力を認められ、出世しました。
小野妹子は、遣隋使として活躍したことで有名です。
当時大きな力を持っていた隋の国へ、今後対等な交流を依頼する文書(手紙)を持って行ったのが小野妹子でした。
この手紙の書き出しは「日がのぼる国の天子(聖徳太子)が、日がしずむ国の天子(随の皇帝)にお手紙します」で始まります。
今考えると随分失礼な文面で、隋の皇帝は激怒したそうですが、妹子の外交術が功を奏し、その後、隋は日本と活発な交流をするようになりました。
このことからも、小野妹子の功績の大きさがうかがえます。
妹子はその後も隋の文化や政治を学び、聖徳太子の定めた冠位十二階の一番高い位まで登りつめました。
小野妹子の性別
小野妹子の性別は男性です。
名前に「子」がつくので、紛らわしいですが、他にも蘇我馬子など、「子」のつく男性はいます。
中国の「孔子」、「孟子」を例にとれば、「子」は、「先生」の意味であり、もともと男性につけられるものでした。
そのため、日本でもその影響を受け、身分の高い人の名前に「子」をつけるようになりましたが、当時は男女関係なくつけられました。
その後、女性の皇族の名前には、必ず「子」がつけられるようになり、それが民間にも広がって、「~子」は女の子の名前として定着したようです。
小野妹子は女だった?
小野妹子が女性と勘違いされやすいのは、名前に「妹」の字が使われているためです。
さらに、女流歌人の小野小町と同姓のため、混同しやすいせいもあるかもしれません。
本来「妹」は、女性の恋人や奥さんを呼ぶ時に使われるもので、男性に対して使うことはあまりありません。
このことから、小野妹子は実は女性で、当時女性より地位が高かった男性になりすまし、出世するためにわざわざ男装していたのではないか、という説さえあります。
とはいうものの、これはかなり信憑性が薄く、妹子はやはり男性と考えるのが普通です。
まとめますと、小野妹子は飛鳥時代に遣隋使として活躍し、当時の外交に大きく貢献しました。
女性と勘違いされることも多い小野妹子ですが、実際の性別は男性です。