千代の富士は1970年に初土俵を踏み、1991年に引退した第58代横綱です。
角界入りのきっかけは本人の盲腸の手術に時間が掛かり、麻酔が切れても耐えたことと体格の良さを病院の院長に評価され、人づてでそれを聞いた当時の九重親方がスカウトしにきたというもの。
小柄な体格ながらも得意の上手投げで、ウルフや小さな大横綱という異名を持ち、幕内最高優勝31回で、幕内の戦績は807勝253敗144休で勝率7割という輝かしい記録を持っています。
体が小さいからこそ、対戦相手を徹底的に研究し、肩の脱臼を治す為に1日500回の腕立て伏せを日課にするなど、並大抵ではない努力こそが強さの理由でした。
最終的には引退をしなければいけないのはスポーツ選手の定めとはいえ、どのような理由があったのでしょうか。
限界説浮上
1981年に横綱に昇進すると、日本は千代の富士ブームに沸き、通称、ウルフフィーバーと呼ばれる社会現象が起こります。
しかし、その翌年の1982年の『読売大相撲』ではV3を果たしたにも関わらず、低調などという論評が出されました。
1984年でも怪我などにより成績は振るわず、9月場所では入幕二場所目の小錦に敗れたこともあり、横綱の責任を問われました。
翌年の1985年には30歳を迎えるという理由で、年齢による限界説が浮上するようになっていました。
しかし、1985年以降は黄金期ともいえる活躍を見せるようになり、限界説を一蹴しました。
衰えが目立ち始めたことが引退のキッカケ
1990年には優勝回数30回、通算1,000勝という記録を達成しますが、5月場所と7月場所に優勝出来ず、足も怪我をしてしまいます。
1991年には足を負傷し、確実に限界が近づいていました。
同年5月場所に貴乃花と対戦し、惨敗。
千代の富士はもう一敗したら、引退すると決意をし、貴闘力に挑みますが、負けてしまいます。
これがキッカケとなり、引退することとなりました。
自分でも驚いたニュース速報
千代の富士は当時の九重親方から、「明日、引退会見をする」と告げられていたのですが、サザエさんを見ていた時に、自分の引退がニュース速報されてしまい、引退会見を前倒しすることになったようです。
この引退会見は生中継され、伝えられた引退理由は、「体力の限界と気力の限界」というものでした。
後日、引退相撲はTBSで放送されました。
最後に、千代の富士が活躍出来た理由は同時代のライバルが軒並み脱落し、不在だったからという人もいますし、現役時代には八百長疑惑もありました。
しかし、実力で横綱になったことも誰もが認める事実です。
千代の富士の八百長を告発した板井氏は、「ガチで対戦しても千代の富士に勝てないと思い、負けてお金をもらったほうが得だから、八百長をした」ということを言っていますから、本当に千代の富士は強かったのでしょう。
昨今、日本人横綱は少なくなり、外国人勢に押され気味ですが、千代の富士のような活躍をしてくれる日本人力士が登場してくれると、大相撲が更に盛り上がるかもしれませんね。