ロダンが製作したブロンズ像に考える人があります。
石の上に座り右腕で頬杖をついて思索に耽っているその様子は、まさに考える人そのもののポーズに見えますが、一体何を考えているのでしょうか?
考える人は考えていないと言われもしますが、考える人が何を考えているのかを知るには、地獄の門について知る必要があると思いますので、背景も含めて検証して何を考えているのか浮き彫りにしていきます。
考える人は地獄の門から見下ろす人
1880年に国立美術館建設にあたり、モニュメントの製作依頼がロダンのもとに届きました。
ロダンはダンテの神曲の地獄篇に登場する地獄の門をテーマにして製作をすることにしました。
そして、その地獄の門の上から神曲が表した地獄に堕ちた人々を見下ろす形で、考える人を座らせました。
1888年に国立美術館の建設中止になりましたが、ロダンは金を払って地獄の門の制作を続けました。
しかし、この時点でこの像は考える人という名前ではなく、詩人という名前で1889年に単体で公開されました。
考える人という名前は、ロダンが亡くなった後にこの像を鋳造したリュディエが名付けて、その名前が広まりその名前で知られるようになりました。
地獄の門製作時の三角関係と
地獄の門の製作に入った頃、カミーユという優秀な弟子ができました。
才能と魅力に溢れた彼女に次第に好意を抱くようになり、内縁の妻であるローズとの間で思いが揺れ動きました。
カミーユは自分をとるかローズをとるかをロダンに迫りましたが決断できずにいるという、芸能関係で聞いたことがあるような関係でしたが、その関係はやがて破綻しロダンはローズのところに戻ります。
ショックを受けたカミーユは、やがて統合失調症を発症して入院して病院で亡くなりました。
地獄の門はそのような時期にカミーユの協力を得て製作されていきましたが、考える人の見下ろす先に内縁の妻であるローズや知的障害があって認知しなかった息子がいました。
そして、その一方で、ダンテの神曲で結ばれない悲恋に堕ちたフランチェスカと交わす接吻の像も、最初のころは地獄の門の一部としてありました。
そのような地獄に堕ちていく人間の暗い部分を複数の像として表して、それを見下ろしているのが考える人だったのです。
まとめ
ロダンは亡くなる前に、パリに残したカミーユに逢いたいと述べています。
間違いを全く起こさないで、生涯を過ごすことができる人がどれだけいるのでしょうか。
間違いを犯した多くの人が地獄の門をくぐっていくのを見続ける考える人が、何を考えているのか?を考えたとき、人の罪深さや愚かさそして、悲しささえも見えてくるのではないでしょうか。
実は考える人は、何を考えているのかを考えさせる人なのかもしれません。