新潟県の代表的な観光地、佐渡島。
佐渡島にはたくさん見るべきスポットがありますが、中でも有名なのが佐渡金山です。
江戸時代には国内で最も金が多くとれた佐渡金山。
その中でも佐渡金山の大立竪坑(おおだてたてこう)に今、注目が集まっています。
いったいどんな観光スポットなのでしょうか。
佐渡金山の大立竪坑(おおだてたてこう)とは?
大立竪坑(おおだてたてこう)とは、昭和20年ころに佐渡金山に造られた竪坑の名前です。
竪坑(たてこう)とは地面からほぼ真っ直ぐ垂直に深く穴を掘ってつくられた坑道のことです。
貴重な鉱石である金は地表近くにはなく、地中の奥深くに眠っています。
金を掘り当てるため300mもの深さの穴を掘り進めるため、大立竪坑やぐらを建設しました。
大立竪坑は日本で最も最初につくられた竪坑です。
明治8年から112年もの間、実際に使われていました。
大立竪坑は新潟県佐渡市の文化財となっています。
佐渡金山はどんな所?
佐渡金山は江戸時代の最盛期には金が年間400kgも採れました。
この採掘量は日本はもちろん世界に注目され、黄金の国ジパングという評判が広まるほどでした。
金山での採掘は大変な危険をともなっていました。
金の採掘のために深く穴を掘ると、地下水が出てきてしまいます。
特に佐渡金山は海のすぐそばにあります。
300mもの穴を掘った大立竪坑は、標高179mのところから掘っています。
標高より低いところまで堀り進めたため、海水混じりの水が出て採掘の障害になりました。
金を採掘する人のほか、じゃまな沸き水を排水する人員も必要だったようです。
どんな人が大立竪坑で働いていたの?
佐渡金山が発見されてしばらくは、重労働なりの賃金が支払われていて、募集によって集まった人々が働いていたようです。
しかし坑道を長く掘り進めていくうち、労働の過酷さがひどくなり、沸いてくる地下水の被害もひどくなってきて人員が足りなくなってきました。
江戸幕府により宿を持たない無宿者が佐渡に送られ、金山で働かされるようになりました。
採掘によって湧き出る水を排出する水替人足(みずかえにんそく)という仕事を無宿者が受け持ちました。
江戸では天候不順による飢饉が続き、政治が不安定な年もありました。
幕府は貧しい無宿者が盗みや暴動で江戸の治安を悪くするのを恐れました。
宿のない人を佐渡の金山で働かせることにより、未然に犯罪を予防する役割を果たす目的もありました。
佐渡金山にある大立竪坑とはどんな所?のまとめ
佐渡金山の大立竪坑やぐらをはじめとして、実際に金の採掘に使われた場所の多くが国の重要文化財に指定されています。
「佐渡金山を世界遺産に」の動きも新潟県や佐渡市を中心に活発に行われていて、ユネスコの世界遺産の候補になりました。
大立竪坑やぐらの見学はツアーを申し込まないと見学できないという情報があります。
「産業遺産散策コース」というツアーの見学コースに大立竪坑の見学が現在含まれています。
佐渡旅行の目玉、佐渡金山へ行く予定の人は、このツアーにぜひ問い合わせるといいでしょう。
坑道の中はとても寒く、真夏でも10度くらいしかないため長袖は必須、厚めのものを羽織れるようにしておくと安心です。
新潟市の新潟港から両津港までジェットフォイルで1時間、レンタカーで1時間走ると佐渡金山です。
江戸時代からの日本の経済を支えた佐渡金山の歴史を、大立竪坑でぜひ堪能してみてください。